美酒爛漫 らんまん

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美酒爛漫の歴史

秋田の美酒を全国へ。
その思いを受けて誕生した美酒爛漫は、
次の100年に向けて
新たな一歩を踏み出します。

美酒爛漫の歩み

  1. 雪の中の蔵(昭和初期)

    日本が誇る酒どころ、秋田県

    「米の秋田は酒の国」とも呼ばれるほど、
    日本有数の銘酒の産地として知られている秋田県。

    1618年に佐竹藩が幕府に提出した口上書によると、
    藩内には746の酒造家があったと言われています。

    秋田酒の隆盛の要因は、
    米質の優れた秋田米の産地であること。
    良質な醸造用水を豊富に用意できたこと。
    そして中冬から翌年3月にかけての酒造期が、
    酒造りに最適な降雪寒冷期であることが挙げられます。

  2. 創業時の会社全景

    酒米の里、湯沢で生まれた
    「美酒爛漫」

    秋田の中でも特に酒米の生産量が多く、酒造りが盛んなことから
    「東北の灘」として知られていた湯沢市。

    秋田銘醸株式会社が、
    ここ湯沢に設立されたのは
    大正11年(1922年)のこと。

    「まろやかで奥深い秋田の美酒を全国へ」という願いを受けて、
    県内の酒造家や政財界人などの有志88名が集まり、
    当時としては珍しい株式会社として起ち上げられました。

    一般公募により「美酒爛漫」と
    名付けられた酒は、
    秋田の酒の未来を切り拓く先陣として、全国へと出荷されました。

  3. 美酒爛漫を嗜む夕(銀座クロネコ・昭和11.9.11)

    安定した生産と品質で
    全国市場へ

    県外市場で「美酒爛漫」の地盤を
    築くための条件は、
    第一に品質の優れた酒であること。
    そしてある程度の量を供給できること。

    秋田銘醸は当初から、一万石の醸造ができる
    近代的な設備を導入した工場として設計・建築されました。
    これは酒造家が伝統的な家内工業であった時代に、
    極めて画期的なことでした。

    こうして「美酒爛漫」は秋田県内の大きな期待を背負い、
    東京を始めとした全国市場へと出荷されていったのです。

  4. 自動函詰機

    10万石を生産する秋田の銘酒へ

    その後、美酒爛漫は東北はもちろん全国へと
    名を広めていき、順調に生産量を増やしていきました。

    常に高い「品質」を保ちながら、全国へと出荷される「量」と、
    お客さまのニーズの多様化に伴う「種類」を
    カバーするには設備面の強化が不可欠です。

    美酒爛漫は、タイプの異なる2つの蔵でその両立を図りました。
    「雄勝蔵」では昔ながらの手法で大吟醸酒などを造り、
    「御嶽蔵」ではオートメーション化された醸造設備で
    より多くの種類の酒を生産。

    そして美酒爛漫はついに10万石の生産量を誇るまでに成長し、
    名実ともに秋田を代表する銘酒としての地位を築いていったのです。

秋田銘醸株式会社
創業60周年記念映画 美酒の諧調

美酒爛漫の酒造りの真髄と隆盛を描いた、
第20回日本産業映画コンクール奨励賞受賞作
『美酒の諧調』は、こちらでご覧いただけます。

次の100年に向けて
踏み出した美酒爛漫

日本酒を取り巻く環境が大きく変化する中で、
2022年、誕生100周年を迎えた美酒爛漫。

この先もより多くの皆さまから愛され、
地元湯沢に貢献できる酒蔵であるために
何をすべきかを考え、行動を起こしています。

たとえば、醸造副産物を有効利用した
製品を開発することで、よりサステナブルな
酒造りを進めること。

たとえば、自社田で酒米を栽培することで、
地域農業を活性化し「酒米の里」湯沢の復活を
めざしていくこと。

私たちの酒造りの歴史は、常に未知への挑戦の
歴史でもありました。美酒爛漫は次の100年も、
新しい酒造りに挑みながら、
「人、土地、未来から、愛されつづける酒」をめざします。

歴史と沿革